Spielen.

人生

人生

諦めるというのが私には難しい。なんとなくやり過ごす、納得できない状況を耐えるというのは私にとって苦しいことで、それを強いられる環境になると無理が祟って持病が悪化する。

 

何かがいい、何かが悪いという訳ではないが、納得できない状況も受け入れられる、あるいは納得するしないという発想がなくても物事を淡々と処理できるという能力は社会において成功するために必要なのだと思う。自分のように頑固で繊細で理詰めだととにかく社会では生きづらいし社会の方も当然受け入れてくれない。

そんなことに気付いたのはこの休職期間に入ってからだったのだが、何か妥協して上手く生きることができたとは到底思えない。

 

趣味の音楽はいい。練習すればする程いい音が出せ、評価されたりされなかったりする。評価されなければ練習すればいい。映画も楽しいし絵画の鑑賞も楽しい。そこには妥協というものが(素人からすれば)殆ど見られず、鍛錬の産物に感動することができる。

試行錯誤して正しいと思ったことを突き詰めてやれる場所ではないと私は生きていけない。でもそれ程の実力もある訳ではないと思う。

 

昔は家も貧乏で家庭にも問題があり劣等感が強く自分の出来てない部分ばかり指摘されることが多く、精神的に苦しかったが見返すために色々と努力はしてきた。ある程度克服してきた今は却って何も知らない人から「元々全て恵まれて生きてきた人」として妬まれたり足を引っ張られたりするようなことが多くこれもまた精神的に苦しい。私の劣等感を刺激してきたような人は大体皆結婚し子供を持ち家を買い、というモデルケースのような人生を歩んでいる。しかしそうなりたいかと言われるとそうは思わない。

 

年齢も年齢なので年下も増えてくる。とにかく社会で辛い思いはしないようにしてほしいが、周りを見る限りいい意味で賢く生きていそうなので大丈夫そうだ。自分の心配をした方が良さそうだ。

自分が幸せに生きられる場所に身を置くことについて考える必要があるのだがどうしようか。

自分の好きなものに触れながら、と考えると可愛い服を着て可愛い人や物に触れて人とたくさん話せる場所がいいな、なんて思っている。上手くいくだろうか。

記録

とにかく辛いのだが、何をどこから何にどう吐き出したらいいのかが分からない。

最近、古くからの友人に精神障害を打ち明けた。私の診断名は双極型感情障害と言われている。自分ではよく分からない。主治医に言われたからそういう物だと思っている。また、症状と言われるべきものが最も酷かった時に抗うつ剤がよく効いたため(よく効いたと言っても、効果が出て、自分の思い通りに自分を動かせるようになるまで服用から2ヵ月程かかった。抗うつ剤とはそういうものらしい)、多分鬱病なのだと思う。

自分は自分の負の感情の処理の仕方が下手だと思う。転職活動をしていると面接官からストレス解消に何をしているか?という鉄板の質問を受ける。友達と話したり買い物をしたり、と言うと質問者は納得したような顔をする。ただ、どちらも正確ではない。私のストレスは別のことで気を紛らわした程度では解消できないようだ。ストレス発散、と言うのは現実逃避のようなもので、楽しいのだが、だからと言って私にストレスを与えた大元がありのまま存在する以上は、根本的な解決には至らない。ただ別に、大元に何か復讐したいとかそういうものは、多分ない。

負の感情を持った時点で私は駄目だのだと思う。最近はそう考え、危険を察知した瞬間なるべく遠ざかるようにしている。今後はそのようにして生きていくのがいいのだと思う。この結論に至った瞬間は少し楽になった。当面の問題は、今も生傷のまま癒えることはない、過去自分が抱えたストレスとどのように付き合っていくかだ。私はこう見えてかなり我が強く完璧主義だと、最近ようやく気づいた。今思えば昔から、自分が正しいと思った意見は突き通したいし、間違っていると思ったことには意見したい、そんな思いで動いていた。この性格が災いし、権力や集団圧力に目を付けられることが多かったのは、恐らく自意識過剰ではなく、事実であると思う。目には見えないものに屈しざるを得なかったのは自分の弱さだと思っていた。また、昔の自分に、自分とは何かさえ突き詰める時間的経済的余裕と発想と頭脳が無かったのも敗因かと思われる。

何度も悔しい思いをし、もうこんな思いをしたくないと何度も試行錯誤を繰り返し、今の自分ができている。昔よりは強くなったと思う。世の中、傷つく前に予防ができる人間と、傷つかないと分からない人間がいると思う。私は後者だ。今後生きるのであればなるべく自分が傷つかないように気を引き締めて生きるしかないと学習した。自分の身は自分で守るしかない。ただ、生きるにあたって、未だに過去の傷が私を苦しめる。その度、こんなに苦しい思いを繰り返すくらいならいっそ、とどうしても思ってしまう。精神障害を友人に打ち明けたのは話の流れで、だった。前々から、言ってしまえば楽になるのだろうか、という思いは脳裏を掠めたが、機会は特になく、わざわざ言う必要性も感じていなかった。話の流れで友人に打ち明けると、心配していただけた。少し心が温まった気がした。ただ、その後も同量同程度、あるいはそれ以上の精神的苦しみに突然襲われるような精神状態に変化はなかった。言えば楽になるものでもないらしい。

全くまとまっていない自分語りだが終わり。

親戚の蕎麦屋

土曜日に親戚が開いている蕎麦屋に行った。親戚と言うのは、母方の祖父の妹(姉かもしれない)である。彼女が蕎麦屋を切り盛りすることになった経緯は定かでないが、嫁ぎ先の夫が料理を生業とすることを決め、妻である彼女がそれに寄り添ったのであろうと推察している。

蕎麦屋の最寄り駅は東京メトロ東西線の某駅である。学生時代は東西線をよく利用していた。何かと都内に出る用事が多かったのだが、JR1本で都内に向かうよりも、西船橋東西線で乗り換えて目的地に向かう方が、安く済むことが多かったのだ。そういえば西船橋駅総武線各駅停車のホームにはエスカレーターが1つしか無く、常に長蛇の列ができていたことを思い出す。また、私は大きな楽器を背負っていたので、後ろに並ぶ人には気を配っていた。そう言うわけで、学生時代は東西線沿いにあるその店にはよく立ち寄っていた。楽器の練習や、就職活動の帰りなどに某駅で降り、その店まで歩いた。アルバイトの女性も店主も、いつも温かく迎えてくれた。今や高齢となり店先には立っていない親戚も、わざわざ寝食のスペースとして使用している2階から降りてきて、私に声をかけてくれた。まるで私のことを家族だと思ってくれているようだった。ただ、率直に言うと、そんな温かさにも、当時の自分は居心地の悪さを感じていた。当時は私の地元でさえ、多くの我慢を強いられ、理不尽に耐え、屈辱を味わった場所だという思い出だけが胸の底に常にあった。人の親切は温かいのに、温かい親切はどうしても地元で苦しんだ記憶に紐付いてしまうのであった。

社会人になってから引っ越したアパートの場所は、東西線とはあまり縁のない場所であった。そもそも東西線を使用しなかったため思い出すこともなく、また、社会人生活時代は家と仕事の往復や、沈鬱とした気持ちで動けなくなる時間に私のほぼ全てが消費されていた。そういう理由で、お蕎麦屋さんからは足が自然と遠いて行ったのだった。社会人1年目の時に、一度、楽器練習の場所がその店の近くであったことがあり、その施設予約のついでに蕎麦屋に足を運んだことがあった。親戚のおばさんに「これから○○へ練習施設を借りる手続をしに行く」と伝えると、彼女から、「●●が車で連れて行ってあげればいいじゃない」と提案してくれた。●●君とは彼女の孫である。彼女に孫がいるという情報だけは聞いていたが、顔も名前も正直なところ知らなかった。また、私は徒歩で施設に向かうということしか発想になかった私にとって、これは思いがけない提案だった。恐れ入りながらお言葉に甘えようとお願いしてみると、●●君は二つ返事で引き受けてくれた。彼の顔はその時に初めて見た。短髪に整えられた太い眉、適度に陽に焼けている肌。彼は私より何歳か年下だと聞いた。太陽のような無邪気さと自信が溢れている、若い顔立ちだと思った。また、張りがある声にも若さが漲っており、快活な話し方にも人を安心させるような信頼感があり、彼の人間性が滲み出しているようだった。私は彼の車に乗せてもらった。東京育ちなのに車を持っていることに珍しさを感じ尋ねてみると、「友達と遊びに行くときに便利だからローンで買った」「最近車検代でまた給料が飛んじゃったんですよ」なんていう等身大の答えが返ってきた。当時彼は調理系の専門学校を出た後に、銀座の料亭で働いていると言っていた。銀座であれば当時の職場が近かったので、行ってみようかと思い話を聞くと、「ランチなら3,000円か4,000円くらいで大丈夫ですよ」と歓迎してくれた。その頃私は、500円前後のコンビニ飯で昼食を済ませていた。彼の働く店には是非とも行きたい気持ちはあったのだが、行くのは何か特別なことがあった時にしようと思った。

土曜日に例の蕎麦屋に向かおうと思ったのは、私が実家に帰省した時に、ちょうど高齢の親戚の嫁ぎ先の夫の訃報を聞いたからだった。それまでは蕎麦屋のこともすっかり忘れていた。お孫さんの彼に車で練習施設に送ってもらってからの私と言えば、公私共に忙しい生活を送っており、様々な人間関係にも耐えることができず、精神的に限界を迎えていた。一度ダウンしてからは、沈鬱とした胸に迫る苦しみに定期的な頻度で苛まれており、これまでどうやって生きていたかさえ分からない程だった。畢竟、電車に乗っても通りすぎることさえない駅が最寄り駅の蕎麦屋については思い出す機会さえ無かった。自分では無理もないことだと納得している。訃報を聞いた時には、私の生活や日常もルーティン化して、自らを落ち着けられるようになってきていた。亡くなった彼とは、親戚と共に彼らの居住スペースでテレビを見ながらお茶を飲むことも何度もあった。私を温かく迎えてくれたご一家への感謝の記憶、美味しい蕎麦の記憶が、私の足を再び例の蕎麦屋に向かわせたのだった。ご家族が、今どのような気持ちで日々を送っているのかは分からない。だが、お世話になった私としては、せめて仏花を備え、仏壇に手を合わせる、最低限の儀礼はさせていただきたいと思っていた。

前置きが長くなってしまった。当日の話も忘れないうちに書こうと思います。

他人

最近色々な物を見たり人と接したりしていて、私が当たり前にやっていたことが人にとっては当たり前ではなかったり、私が重要だと思っていたことが他人から見たら些細なことだったり、逆に私からすれば些細なことだと思っていたが、他の人からすればとても重要だったりすることに気が付いた。毎日たくさんの気付きがあるが、毎日書き留めたいという程の意欲はない。ただ、記録していないと忘れてしまう、私にとって重要なことがある。

当面の今後人付き合いにおいての留意点について。ありすぎるほどあるが、特に感情的になると忘れてしまうこと。

人はそれぞれ異なるということを理解する。そして安易に自分の物差しで測らないように、測ったとしても、尊重する。否定しない。

例えば、世の中で違法とされていることがあり、違法行為を「犯罪」と呼び断罪する人々もいる。一方で、違法行為をしなければ衣食住さえ危うい人々もいる。違法行為を糾弾する人が、その瞬間自らの財産を奪われ全ての人間関係を断ち切られ住処を追われたとする。誰に話しかけても冷たくあしらわれる。手元には小銭一つない。その状況に追い込まれた時に自分は断じて犯罪を行わないと言い切れるだろうか。他人の財産を奪い生計を立てようという発想が脳裏を掠めた時に首を横に振れるだろうか。逆に、今まで盗みを働いていた人が、もう何も人から奪う必要がない状態が保障されたとする。その状態から世の中を見た時に、犯罪行為を認められるだろうか。

これらの問いに対しては、様々な答えとその理由が、人それぞれあるだろう。例として罪を取り上げてしまったため、人の思考の幅を狭くしてしまったかもしれない。私が考えていることはシンプルだ。世の中には色々な過去を持つ人がいる。更に言うと、同じ過去を持っていたとしてもそこから何を学び、その結果がどのように現れるかもその人次第だ。学習せずに同じことを繰り返す人だっている。情念、論理、背景、立場、色々な物を抱えて人は行動する。または、色々な物を抱えていることを考えなかったり、または抱えていることに気付かない人もいる。全て人それぞれだ。人から「何かを軽んじているのではないか」という疑問が生じても、軽んじているからと言ってそれは責める理由にはならない。また私も同様に、「何かを軽んじている」と人から思われている可能性もある。

「自分がされて嫌なことは他人にしない」という言葉がある。ただ、人の想像力にはそれぞれ限界がある。「これを自分がされたらどう思うか」ということが考えられずに他人に何かをする人も当然にいる。

もう一度私の人付き合いの留意点。人はそれぞれ異なる。相違点は理解する。認める。尊重する。

この何を言ってるのかよく分からない文章を最後まで読んでくださった方へのお願い。私の想像力にも限界があるため、悪意なく人を直接的間接的に害してしまう可能性はある。そう感じた時は教えてほしい。私は人からたくさんのことを学びたい。

よろしくお願いします。また何か書きます。

生活

生活が規則なものになって来ている。

食生活については基本的に炭水化物とタンパク質が摂れさえすればいい。ただ、実家から送られてきた等の事情で野菜が手に入った場合は、タンパク源を買ってきて、煮込み料理や炒め物など特に見た目に拘る必要のない料理を作って食べる。最近は、市販のつゆを温めて野菜と肉を切って放り込んで数分放置すれば完成する鍋を好んでいる。なお、手元に野菜が無ければ卵かけご飯を満足するまで食べる。外出する時の食事については、リラックスできそうな店内に入り、食べたい物を選ぶ。自分では作れないような物を選ぶようにしている。それから、コーヒーは好きなので絶えず摂取している。ただ、カフェインは眠りの妨げとなるため、16時以降は摂取しないようにしている。

睡眠については、大体0時前後に眠り、8時前後に目を覚ましている。平日は目覚ましをかけるが、休日はかけない。

後は仕事をしている。在宅勤務だったり出社したりしているが、いずれにせよ上司の指示に応じている。

以前との変化について。

食生活については、スピリチュアルに聞こえてしまうかもしれないが、その時身体の欲している物が何かについて考えるようになってきた。水をたくさん飲むようになった。身体が水を欲していると思うことが多いのだ。睡眠について、午前10時過ぎても寝ていることがなくなった。以前は正午を過ぎてもまだ寝足りない程だった。加齢とともに目覚めが早くなると聞くがその影響かもしれない。または、以前の私は少し疲れ過ぎていたのかもしれない。そして、外出がなくなり、余裕のある時間が増えた。そして、色々なことを一人で考えるようになった。少し前は「何故ストレスが溜まってしまうのか」を考え、解決するために考えていた。その結果、解決できることと、解決できないことがあることが分かった。解決できることは感情回路から外すようにした。そうすると、余計なことで心を悩ませる時間も減るのでまた時間が増える。いい投資だった。空いた時間は、思い出に浸ったり友人とSNSでコミュニケーションをしたり本を読んだり趣味に費やしたりしている。散歩も楽しむようになった。心に余裕があると外の空気が気持ちよく感じられるようになった。あるいは、外出者が減った影響で空気も変わったのかもしれない。また、病院にも通うようになった。以前は通っている時間さえなく、休日は外に出る気力さえなかった。皮膚疾患や耳鼻科の疾患等、放置している案件が複数あったので、これを機に解決を図っている。土曜日は医者巡りのようになっている。

自分の中の色々なことが静かになっているように思う。これはいいことなのか悪いことなのか分からない。未来の私が、今の状態を過去として、どう捉えるかによるのだと思う。いずれにせよ、未来の私にとって有意義であると信じたい。

倒れられない理由

今年の12月に中学からの友人の結婚式がある。本来であれば昨年開かれる予定だったのが、COVID-19を考慮して、彼女達は延期を選択した。12月まで、長いが、何とか持ち堪えなければいけない。招待いただいたからには、幸せな彼女を、幸せな顔で見たい。

もう一つ、演奏会に出演すると決めた。これは今年の秋の催しだ。かなり大きな決断だったが、信頼している後輩に支えてもらうようお願いし、決めた。自分にとっての大きな一歩となるよう、日々努力したい。

疾患さえなければ、倒れないようにとマネジメントする必要も無かったのに、と悔しく思うことがよくある。だがこればかりは仕方がない。うまく付き合っていくしかない。

最近の話

本を読んでいる。脱毛を始めた。楽器の練習もしている。

楽器については、練習し続けたいし、出来れば演奏会にも出たい。人に聴いてもらう演奏をする、という覚悟があるとないとでは、練習に取り組む姿勢も大きく変わってくる。

連絡を取り続けている友人が複数名いる。皆大切な友人だ。縁が切れないようにしたい。縁といえば、最近は素晴らしい出会いをたくさんしている。有難いことだ。皆信頼している。私が私として、正しいと思った道を歩み続ける限り、簡単には縁は切れないと信じている。

司法試験の最終合格も目指している。特に野心は無いのだが、肩書きがないと通用しない世界があったり、大切な人を救えない事情があったりすることを学んだ。私は、昔から勉強だけが得意な自分が大嫌いだった。勉強が出来ても何の役にも立たないと思っていたのに、人からほめそやされるのが虚しくて仕方がなかった。ただ、勉強をした結果何かを手に入れれば、人の役に立てるのかも知れない。そう考えて勉強している。だが実は、勉強よりも、健康に、仕事をし続け、本を読み、友人とコミュニケーションを取り続けることの方が重要だし楽しい。なんとか両立したいが、全く身が入らない。

余計な買い物は控えようと思う。もう既にたくさんの物を持っていると思う。これ以上は不要であると考えた方がよさそうだ。まず、近いうちに持っているものを整理しよう。

仕事を続けたい。今の職場で働き始めてそろそろ半年が経つ。3年は続けたいと思っている。最近は、毎年毎年、不定期に傷病を理由として休職している。今年は本当に、絶対に休職したくない。最近は服薬もきちんと行い、生活リズムも整え、定期的に有給休暇を前もって取得し、自分の気持ちを正直に吐き出すことができる場所も作り、なんとか精神のバランスを崩さないよう自己管理はしている。半年間、精神的事情を理由に当日欠勤したことは無かった。このままあと半年続けば、大丈夫だろう。

先日、浅草寺でおみくじを引いたら、一番という数字が出た。これは大吉か凶かの二択であろうと思いながら恐る恐る引き出しを開くと、なんと大吉だった。最近は開運に興味を持っている。常に必要だと思ったことにはこう見えて真剣に取り組んでいる。勿論、今がベストだとは当然思っておらず、慢心はしないつもりだ。ただ、「ここまでやって駄目なら、運が悪かったのだ」と思える状態には常にしたいと思っている。となると、どれだけ頑張ってもやはり運なのだ。色々な雑誌の占い曰く、2021年の私は、来年に向けての準備期間らしい。年始早々出鼻を挫かれるように書かれ方だが、私は前向きに受け止めている。私は、特に何かになりたい訳ではない。ただ、やりたいことが沢山あるし、一緒にやりたい人も沢山いる。そのためには、健康な心身、実力、一定の貯蓄、肩書き等が必要だと考えている。それらを準備するのが今年なのだと思っている。私は割と好奇心旺盛で、すぐに脇道に逸れてしまう。ただ、最近読んだ本、ヘッセ著の『シッダールタ』における、シッダールタの発言が印象に残っている。“「さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。」“、これは、シッダールタに思想を求めたゴーヴィンダに対する、シッダールタの返答の一部だ。さぐり求める、と見いだす、は反することであるが、私はどちらも素晴らしいことであると思うし、自分自身はさぐり求め、かつ、見いだせる者でありたいと思う。

と大きなことを言いつつも、あまり自分に負荷をかけると健康上の危機が高まるので、何事についても縛られないようにしたい。いかにしてあらゆることから縛られずに生きるかを考える時間とその行為も、2021年の私に必要な投資なのかも知れない。