Spielen.

人生

最近の話

本を読んでいる。脱毛を始めた。楽器の練習もしている。

楽器については、練習し続けたいし、出来れば演奏会にも出たい。人に聴いてもらう演奏をする、という覚悟があるとないとでは、練習に取り組む姿勢も大きく変わってくる。

連絡を取り続けている友人が複数名いる。皆大切な友人だ。縁が切れないようにしたい。縁といえば、最近は素晴らしい出会いをたくさんしている。有難いことだ。皆信頼している。私が私として、正しいと思った道を歩み続ける限り、簡単には縁は切れないと信じている。

司法試験の最終合格も目指している。特に野心は無いのだが、肩書きがないと通用しない世界があったり、大切な人を救えない事情があったりすることを学んだ。私は、昔から勉強だけが得意な自分が大嫌いだった。勉強が出来ても何の役にも立たないと思っていたのに、人からほめそやされるのが虚しくて仕方がなかった。ただ、勉強をした結果何かを手に入れれば、人の役に立てるのかも知れない。そう考えて勉強している。だが実は、勉強よりも、健康に、仕事をし続け、本を読み、友人とコミュニケーションを取り続けることの方が重要だし楽しい。なんとか両立したいが、全く身が入らない。

余計な買い物は控えようと思う。もう既にたくさんの物を持っていると思う。これ以上は不要であると考えた方がよさそうだ。まず、近いうちに持っているものを整理しよう。

仕事を続けたい。今の職場で働き始めてそろそろ半年が経つ。3年は続けたいと思っている。最近は、毎年毎年、不定期に傷病を理由として休職している。今年は本当に、絶対に休職したくない。最近は服薬もきちんと行い、生活リズムも整え、定期的に有給休暇を前もって取得し、自分の気持ちを正直に吐き出すことができる場所も作り、なんとか精神のバランスを崩さないよう自己管理はしている。半年間、精神的事情を理由に当日欠勤したことは無かった。このままあと半年続けば、大丈夫だろう。

先日、浅草寺でおみくじを引いたら、一番という数字が出た。これは大吉か凶かの二択であろうと思いながら恐る恐る引き出しを開くと、なんと大吉だった。最近は開運に興味を持っている。常に必要だと思ったことにはこう見えて真剣に取り組んでいる。勿論、今がベストだとは当然思っておらず、慢心はしないつもりだ。ただ、「ここまでやって駄目なら、運が悪かったのだ」と思える状態には常にしたいと思っている。となると、どれだけ頑張ってもやはり運なのだ。色々な雑誌の占い曰く、2021年の私は、来年に向けての準備期間らしい。年始早々出鼻を挫かれるように書かれ方だが、私は前向きに受け止めている。私は、特に何かになりたい訳ではない。ただ、やりたいことが沢山あるし、一緒にやりたい人も沢山いる。そのためには、健康な心身、実力、一定の貯蓄、肩書き等が必要だと考えている。それらを準備するのが今年なのだと思っている。私は割と好奇心旺盛で、すぐに脇道に逸れてしまう。ただ、最近読んだ本、ヘッセ著の『シッダールタ』における、シッダールタの発言が印象に残っている。“「さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。」“、これは、シッダールタに思想を求めたゴーヴィンダに対する、シッダールタの返答の一部だ。さぐり求める、と見いだす、は反することであるが、私はどちらも素晴らしいことであると思うし、自分自身はさぐり求め、かつ、見いだせる者でありたいと思う。

と大きなことを言いつつも、あまり自分に負荷をかけると健康上の危機が高まるので、何事についても縛られないようにしたい。いかにしてあらゆることから縛られずに生きるかを考える時間とその行為も、2021年の私に必要な投資なのかも知れない。