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人生

他人

最近色々な物を見たり人と接したりしていて、私が当たり前にやっていたことが人にとっては当たり前ではなかったり、私が重要だと思っていたことが他人から見たら些細なことだったり、逆に私からすれば些細なことだと思っていたが、他の人からすればとても重要だったりすることに気が付いた。毎日たくさんの気付きがあるが、毎日書き留めたいという程の意欲はない。ただ、記録していないと忘れてしまう、私にとって重要なことがある。

当面の今後人付き合いにおいての留意点について。ありすぎるほどあるが、特に感情的になると忘れてしまうこと。

人はそれぞれ異なるということを理解する。そして安易に自分の物差しで測らないように、測ったとしても、尊重する。否定しない。

例えば、世の中で違法とされていることがあり、違法行為を「犯罪」と呼び断罪する人々もいる。一方で、違法行為をしなければ衣食住さえ危うい人々もいる。違法行為を糾弾する人が、その瞬間自らの財産を奪われ全ての人間関係を断ち切られ住処を追われたとする。誰に話しかけても冷たくあしらわれる。手元には小銭一つない。その状況に追い込まれた時に自分は断じて犯罪を行わないと言い切れるだろうか。他人の財産を奪い生計を立てようという発想が脳裏を掠めた時に首を横に振れるだろうか。逆に、今まで盗みを働いていた人が、もう何も人から奪う必要がない状態が保障されたとする。その状態から世の中を見た時に、犯罪行為を認められるだろうか。

これらの問いに対しては、様々な答えとその理由が、人それぞれあるだろう。例として罪を取り上げてしまったため、人の思考の幅を狭くしてしまったかもしれない。私が考えていることはシンプルだ。世の中には色々な過去を持つ人がいる。更に言うと、同じ過去を持っていたとしてもそこから何を学び、その結果がどのように現れるかもその人次第だ。学習せずに同じことを繰り返す人だっている。情念、論理、背景、立場、色々な物を抱えて人は行動する。または、色々な物を抱えていることを考えなかったり、または抱えていることに気付かない人もいる。全て人それぞれだ。人から「何かを軽んじているのではないか」という疑問が生じても、軽んじているからと言ってそれは責める理由にはならない。また私も同様に、「何かを軽んじている」と人から思われている可能性もある。

「自分がされて嫌なことは他人にしない」という言葉がある。ただ、人の想像力にはそれぞれ限界がある。「これを自分がされたらどう思うか」ということが考えられずに他人に何かをする人も当然にいる。

もう一度私の人付き合いの留意点。人はそれぞれ異なる。相違点は理解する。認める。尊重する。

この何を言ってるのかよく分からない文章を最後まで読んでくださった方へのお願い。私の想像力にも限界があるため、悪意なく人を直接的間接的に害してしまう可能性はある。そう感じた時は教えてほしい。私は人からたくさんのことを学びたい。

よろしくお願いします。また何か書きます。