Spielen.

人生

記録

とにかく辛いのだが、何をどこから何にどう吐き出したらいいのかが分からない。

最近、古くからの友人に精神障害を打ち明けた。私の診断名は双極型感情障害と言われている。自分ではよく分からない。主治医に言われたからそういう物だと思っている。また、症状と言われるべきものが最も酷かった時に抗うつ剤がよく効いたため(よく効いたと言っても、効果が出て、自分の思い通りに自分を動かせるようになるまで服用から2ヵ月程かかった。抗うつ剤とはそういうものらしい)、多分鬱病なのだと思う。

自分は自分の負の感情の処理の仕方が下手だと思う。転職活動をしていると面接官からストレス解消に何をしているか?という鉄板の質問を受ける。友達と話したり買い物をしたり、と言うと質問者は納得したような顔をする。ただ、どちらも正確ではない。私のストレスは別のことで気を紛らわした程度では解消できないようだ。ストレス発散、と言うのは現実逃避のようなもので、楽しいのだが、だからと言って私にストレスを与えた大元がありのまま存在する以上は、根本的な解決には至らない。ただ別に、大元に何か復讐したいとかそういうものは、多分ない。

負の感情を持った時点で私は駄目だのだと思う。最近はそう考え、危険を察知した瞬間なるべく遠ざかるようにしている。今後はそのようにして生きていくのがいいのだと思う。この結論に至った瞬間は少し楽になった。当面の問題は、今も生傷のまま癒えることはない、過去自分が抱えたストレスとどのように付き合っていくかだ。私はこう見えてかなり我が強く完璧主義だと、最近ようやく気づいた。今思えば昔から、自分が正しいと思った意見は突き通したいし、間違っていると思ったことには意見したい、そんな思いで動いていた。この性格が災いし、権力や集団圧力に目を付けられることが多かったのは、恐らく自意識過剰ではなく、事実であると思う。目には見えないものに屈しざるを得なかったのは自分の弱さだと思っていた。また、昔の自分に、自分とは何かさえ突き詰める時間的経済的余裕と発想と頭脳が無かったのも敗因かと思われる。

何度も悔しい思いをし、もうこんな思いをしたくないと何度も試行錯誤を繰り返し、今の自分ができている。昔よりは強くなったと思う。世の中、傷つく前に予防ができる人間と、傷つかないと分からない人間がいると思う。私は後者だ。今後生きるのであればなるべく自分が傷つかないように気を引き締めて生きるしかないと学習した。自分の身は自分で守るしかない。ただ、生きるにあたって、未だに過去の傷が私を苦しめる。その度、こんなに苦しい思いを繰り返すくらいならいっそ、とどうしても思ってしまう。精神障害を友人に打ち明けたのは話の流れで、だった。前々から、言ってしまえば楽になるのだろうか、という思いは脳裏を掠めたが、機会は特になく、わざわざ言う必要性も感じていなかった。話の流れで友人に打ち明けると、心配していただけた。少し心が温まった気がした。ただ、その後も同量同程度、あるいはそれ以上の精神的苦しみに突然襲われるような精神状態に変化はなかった。言えば楽になるものでもないらしい。

全くまとまっていない自分語りだが終わり。